1947年の初版発売以降、日本文学の古典としての地位を不動のものとしている作品。
名実ともに太宰治の代表作でしょう。
ピースの又吉さんやオードリーの若林さんなど、本好きのお笑い芸人も太宰を好きな作家として挙げるほどで、人気は今日になって勢いを増しているのかもしれません。
とはいえ、この作品を好むことができるのは、ヒロイックな登場人物たちに自己投影できるような根っからの読書好きではないでしょうか。
旧道徳の退廃と新しい時代の到来の中で流行小説として人気を博したのは分かりますが、今日の日本や世界における、道徳的経済的な没落・凋落の深い部分を捕らえていると言えるほど普遍的な作品ではないように思われました。
あらすじ
舞台は戦後すぐの日本。
かず子とその母は戦前に貴族であったが、父を亡くし、財産も残り僅かという状況に追い込まれた結果、東京の邸宅を売って伊豆での生活を始めていた。
慣れない田舎での生活。
収入もないのに働かないかず子の「貴族」的な態度にやっかみを覚える住民もいる。当然、財産はどんどん減っていく。
そんな中で戦地から帰ってきたのは、かず子の弟である直治だった。
阿片中毒の直治は狂人そのもので、お金を持ち出しては東京で放蕩生活を送るようになっていく。
なに一つ希望が見えない中、母の死をきっかけに、かず子はある人物への恋を成就させる決意をする。
最後の貴族として、そのあまりにも貴族然とした振る舞いを最後まで貫き通した母の死は、かず子に旧来の道徳を破る決意をさせたのである。
恋の相手は直治の尊敬する作家で、妻子持ちの上原という男だった。
太平洋戦争に敗れ、これまで縋ってきたあらゆる価値観が崩壊していく日本。
崩れゆくものに呼応するようにして亡くなっていく人々と、新しい道徳を胸に立ち上がっていくかず子の物語。
感想
古い小説を読むときは当然、登場人物たちはその時代の常識に従っているのだということを意識しなければなりません。
読書家としては当然のリテラシーですし、古いからこそ却って新鮮な価値観との出会いに喜びを感じたり、「昔」というものに対する自分の思いこみが払拭されていくことを楽しみに読書をしているという人も、読書好きならば多いのではないでしょうか。
この「斜陽」はまさに「道徳」が前面に押し出された作品だけあって、そこを強く意識しなければ上手く展開や「斬新さ」が飲み込めない作品になっております。
主人公のかず子は30手前の女性でバツイチ、自分の浮気を疑われたことが原因で前夫とは離婚しています。
結婚や家同士の付き合いがより重要視されていた時代の人物としてはかなり自責の念や自己否定に苛まれながら生きているといえます。
振舞い方や感覚も、庶民と比べれば圧倒的に貴族ですが、母親と比べればそうではないという程度です。
世俗的な空気を露ほども感じさせない母に比べ、かず子は庶民にも貴族にもなりきれないような性格・生活をしています。
そんなかず子のもとに帰ってきたのが、弟である直治。
文学や革命思想に傾倒していた彼は精神を病み、薬に手を出し、どうしようもない人間になっています。貴族であることに葛藤を覚え、そして、どうしても庶民になれない、という罪の意識が彼を狂人にします。
幼いころから染みついた感覚から人は逃れられないものです。
富貴の家に育った人が、革命思想や哲学なんかに当てられたうえで、なおかつ、自分自身がもう革命思想や哲学の敵のような人種から脱出できないのだと自覚すれば、心のうちは荒むことでしょう。
そしてまた、直治が尊敬し、かず子が想いを寄せる上原という画家も崩れていく人間の一人です。
戦争とその後の社会の大変換がもたらした価値観崩壊の衝撃はすさまじく、毎日毎日酒を飲み明かす生活を彼も続けています。
たとえどんなに「戦後」から浮いていたとしても、貴族として死んでいった母。
戦前から既に革命的な思想に触れ、その烈しさに耐えられず身を崩していく直治。
「戦後」という衝撃に、まさに崩されようとしている男、上原。
1947年というと、まだまだ社会の大多数が文学を手に取るという時代ではないでしょうから、戦前に勃興していた中産階級以上が買うか否かがベストセラーの境目だったはずです。
そして、そういった「知識階級」が「世論」を形成していた時代です。
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